雑音

かべうちの雑記 / 絵はほぼ版権 / 閲覧非推奨

尾形が死んだらしい

尾形百之助。多分ゴールデンカムイで一番好きなキャラだった。初めて顔を見た時は日本人だとすら思わなくて、なんでツタンカーメン王が蝦夷地にいるのかと「?」になった記憶がある。でも10話も読めば可愛いと思うようになり、度を越した卑屈っぷりに同情どころか共感すら覚えていた。私は公平すぎるあまりに冷徹で、不器用なぐらいまっすぐな人が好きだ。

本誌はまだ追えてなくて、訃報を知ったのはネットのトレンドだった。語彙力の豊かなオタクたちの140字の呟きで、読んでもいないのに虫の息で意地悪そうな薄ら笑いをしている尾形の顔がありありと目に浮かぶ。私が生き返った日に推しが死んでしまった。


でもショックより先に感じたのは安堵だった。やっと死ねたんだね、尾形。勇作さんの幻影の向こうに蜂起し続けてきた自分の感情を許すことができたんだね。

元々、この人は生きてる限り「家族に認められたかった」っていう大きすぎる後悔から逃げられることはないと勝手に思ってたから、完結までには死ぬだろうなと思ってた。よかった。尾形の気持ちが成仏できてよかった。尾形が最期まで尾形でいたことを見届けられて安心した。まあ私が本誌で読むのは恐らく半年後くらいですが。


人の命って、現代社会でこそ重たくて尊くて最重要機密みたいに扱われるけど、ほんとはその価値って他の生き物と同等なはずで、時に自然や偶然の前では吹けば飛ぶほど軽いもののはずだ。命自体よりも、命が作り出した感情や誇りの方がよっぽど大事な場合だってなくはないはずだ。

その可能性を考えもせず、ただ闇雲に手を差し出すのは、相手のことを考えてないのと同じで卑怯だ。最近はそう思う。


人の後悔の大きさとか、それがどんな痛みをもつとか、それはその人の自由だ。みんなと同じじゃなくても、それが治せないままでも、世界で一番自分が可哀想だと傷を撫でていいはずだ。だけど、自分にとっての真実を誰にも受け止めてもらえないことは、自由と代償の当たり前で、とても苦しくて悲しいことだ。

その当たり前をみんなが抱えたまま、誰も正解を見出せないまま、貪欲に、だけど真剣に命がぶつかり合うのがゴールデンカムイだ。敵はある時は昨日の友だったり、初対面の熊だったり、ホワイトアウトだったりする。これはフィクションの中にあるけどすごく真実な気がしていて、生き物らしい姿だと思う。ここで生き延びるのは大変そうだが、キャラクターたちはいつだって全力で、バトル中も、死に際でさえも、血生臭い描写とは裏腹にあまりにもキラキラしている。


だから私はこの漫画が好きなんだ。

あー、、でもやっぱりちょっと寂しい。