雑音

かべうちの雑記 / 絵はほぼ版権 / 閲覧非推奨

吹けば飛ぶメンタルになってしまったね いつの間にか歴然と差がついてしまったね

まいいか これは日記だし 誰に打ち明けたところで万が一わかってもらえても何一つ解決なんかしないんだ

全部わかってくれたのが唯一りおーさんだったんだ

彼はもういないけど 守ろうとした物は全て自分で壊してしまったけど

 

語るだけのことがあった だって僕と似た考えの人は誰一人だっていなかった 僕は紛れもない天才だった 僕は優しすぎた

そんな手間を惜しんでくれる人はこの世に両親しかいないぐらいのことは嫌と言うほど思い知った たまにネットに浮いているようなあたたかストーリーには出会えなかった

 

あの子に出会って 別れて そんなことを言うのはやめてくれと言われて

何もわからなくなってぽっかり心に穴が空いたまま何ヶ月も経ってしまった twitterは再開してみたけど 一つまた一つと言の葉の自由を奪われて あるいは自ら捨てて 何も言えなくなった

言えなくなったと言うのは嘘だ 何を書いてみても怖くなってしまったのだ この世に私の声は届いてはいけないと思った ありのままなんてもうここにはなかった

今も昔も生きていたくないと心底思っている でも私は死なない この舌がなくなればいいのにと何度も願った 臆せず自分語りできる人を幾度となく呪った

 

私のせいなのかな 本当に?

 

苦しくて毎日吐きそうだ 泣かないと生きていられない でもこれでよかったのかもしれない

だから人は物語を紡ぐのだ だから絵を描きたくなるのだと 思う その方が美しいから

自分語りはもういらないと思った いつまでそんなふうに生きれるか その辺はチキンレースだけども

 

公開で日記を書くのはもうやめにしようと思った

感想はまだまだ書きます 私の魂だったもの さようなら

定期的に病みます
たぶんこれはわたしのせいじゃない 病気のせいだと勝手に思ってる 許して欲しい
こんなに我慢して生きてるんだから病むことぐらい許されて欲しい

ヒプマイ描くの人生で何よりも楽しいけどヒプマイのこと考えるの人生で何よりも辛い
芋づる式に色々思い出してしまう あの沼にはもう帰れない ブロックの手が止まらない ヒプマイ載せてる垢でミュートにタイトルとキャラ名入ってんの意味わかんなすぎてウケるよね
ついでにマイナー解釈は冷たい目で見られるのにCPの話は公開垢で 時にはR18の話まで伏字すればいいと思ってる人あまりに多すぎて吐きそうになる なんで?普通に不公平を感じるし不快だからやめてほしい

どこの界隈のどこのタイムラインを見ても同じ事を思うけど


不平不満を全部吐かないと気が済まないのも 突然公の場で病み出すのも  思った事を正直に言うのも オンタイムで騒ぐことも 他人事のように知った口を聞くことでさえも

羨ましいなと思ってしまう


きっとみんなどこかで我慢してて たまたま私が見てた場所をハケにしてたのだろう 生きてる全瞬間我慢したことがない人なんていないと思う きっと私もどこかで誰かに迷惑かけたことがあるだろう

でも 一糸纏わない本当の感情なんて今まで吐き出したことがない 己のそれを見たことだってない

私の感情はほぼ全部ADHD自閉症スペクトラムのプロトタイプだ だからその「個性」ってやつがわかる人がただ羨ましい


今日たまたま自閉症の子の動画を見た 供給過多になると脳が処理しきれなくて自傷を起こしてしまうんだそうだ 私もその端くれだから気持ちは少しはわかる 供給過多になると心が不安定になる

その動画を見たコメント欄は確かに慈愛に溢れていたが まるで他人事のように彼と家族を褒めていて怖かった

彼らの周りにその実体験がない何よりの証拠だと思った


優遇されたいなんて思わない そんな生意気は口が裂けても言わない

だけど「私がこう思うから相手だってきっとこう思うはずだ」「だからこう言ってもいいはずだ」そういう思い込みが

時に人を殺すんじゃないかなと思う


我慢しろとは言わないけど 我慢し疲れてる人間もここにはいる 全部吐けばいいってもんじゃない 言語で伝えられる事なんてたかが知れている

人間のスタンダードなんて元から存在しないんだよ

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誕生日絵を考えてた 本当はアニメを作りたかった とてもじゃないけど気力が足りなかった サボってる間に推しっぽい推しが描けなくなった

私と同じ幻覚を見てる人は多分私しかいないので記憶を辿るように推しの輪郭を探している


明るく振る舞っても嘘くさいと言われて

空気を読んだら気持ち悪いと言われて

本音を吐いたら蔑まれて

そんなことを気にしてはだめだ だけど自由に口を開いて生きる人間が羨ましくて憎くて仕方ない

トラウマは側から見てどんなに些細な傷でも毒を持って一生疼き続ける

どうしたらいい 私はどこにいる 受け入れられることもないくせになぜ遠慮しなければならない

私はどこに行けばいい?

どーーーーしても、人が見てる場所だと人を作っちまう。


仕方ない、そうやって今まで生きてきた。それが悪いことだとも思ってない、むしろ立派だ。このカメレオンっぷりが無ければ私は今頃家から出られなくなってた。


そのまま頑張って、騙して、天才になって、努力家になって、超えようとしなかった壁を超えたい。アイドルみたいに。

5月、検定とって、8月、本を出す。やりゃできるんだ。走れ。

自然電力、高いわ。知ってたけど。1月と2月、ほぼ関電の倍取られてることに気づいて笑った。いや知ってたけど。でもあの会社の自然エネルギーへ対するど根性徹底ぶりは大好きだから乗り換えしたくない。ってなるとやっぱりお金節約するしかないんだよね〜...

パラライのライブ行きたいし地方だって旅に行きたいしもっとキャンプしたいし同人誌作りたい希望がある。今の給料じゃどれか一個やればあっという間に家賃滞納する。っていうか既にしている。危険だ、バイトしなきゃ。

就職すれば全て解決するのにどうしても週5で働いて一般社会人の気負いをするリスクに勝てる気がしなくて...怖いんだ。情けないけど怖い。折れた時の代償が重すぎるし、今まで3年以上同じ場所で息ができた試しがない。人間社会生活への永続的な敬遠。SNSも見過ぎだから依存癖から抜け出したい。なんなんだこの矛盾は、かまってちゃんか?

 

この冬、可愛がっていたラベンダーとセントポーリアとタイムとマリーゴールドとバジルを枯らしてしまった。マリーゴールドとバジルはまあ越冬できないのが普通だけど。他の花が枯れた理由は明確だった。世話を全くしていなかった。

最低だけど、この冬はあまりにも死にたくて、死が迎えに来てくれることを密かに期待してしまったんだ。こんな気持ちで花を触ることがどうしてもできなかった。どんどんやつれていく花の姿に、さらに私が生きていることを責め立てられるような気持ちになって、見て見ぬふりしてしまった。あるいは道連れにしようとしていた。買ってきたのは私なのにな。枯れた花の根に触れて1人で泣いた。許されないことをした。

助けるつもりで出した手が、一番恐ろしい結末を運んできた。私が全てを裏切ったような事実が起きてしまった。詳しく語る気はないがこの冬起きたトラウマだ。誰も助けてくれなかった。一時期何にも信じられなかった。自分すら信じられなくなった私の心は、愛することを諦める代わりに花を見殺しにした。トラウマって言葉に惹かれて泣きながらパラライのドラパを聞いたのが2月のことだ。冷静に考えたら私がしたことは悪くはないかもしれない(実際に受けた仕打ちには若干の不条理は今でも感じる)けど、浅はかだった罪も、花を殺した罪も確かに一生消えないのだ。私はもう一生誰かに永遠を誓うことや空リプを送ることもないだろう。

 

そしてまた春が来て、花を買ってきた。自分のために買ったんだ。私は愛する誰かの歩幅を先回りするんじゃなくて、1人で、自分のペースで、前に進めるようにならなければいけない。死ねない以上、前に進めるようにならなければいけない。もう自分から逃げない、と、私は私に約束して欲しい。承認欲求を下げて下げて下げて生きる。誰にも認められなくても、もういいんだ。

頭の中がどろどろしている。孫悟空がつけてる頭の輪っか(きんこじというらしい。漢字が変換で出てこない)で締め付けられてるみたいな感じで、おでこの裏側に熱い水が溜まっているみたいだ。

わからない。これが抜歯からくる不調のせいなのか、気圧のせいなのか、心労なのか、はてまた生まれ持った障害と呼ばれるもののせいなのか。私は明らかに発達障害なのだが、いわゆるグレーゾーンというやつだ。生活に支障をきたすほどの思考の乱れは持っていない。だけど診断が下っている以上、明らかな不調は生まれ持っていて当然だと思う。実際ADHDの人間は情報を一気にぶち込まれるとキャパオーバーを起こし、脳細胞が死滅するという研究結果が出ている。そのせいかわからないが、私も1時間を超える会議や初めて習う数学の公式の授業に出席すると、前日にどんなに対策をしていても必ず寝てしまう。一応「今日こそは」という気持ちで臨んでいるので、誰にも助け舟は頼んでおらず、結果墓穴を掘って誰よりも自分のことを恨めしく思っている。

自分の持つ幾多の微かな乱れに何度振り回されてきたかわからない。それが自分のせいなのか甘えなのかわからないのがずっと昔から怖いのだ。口を開いて不満を訴えようものなら「わかるよ、みんなそんなもんだよ」と言われてしまう。そんなわけないだろ、と言いたくなるのをぐっと堪える。きっと優しさから出ている返事なのだ。否定はできない。

今マンガバングで金色のガッシュベルを1話ずつ読んでいるのだが、自分が魔物だと知ってしまったガッシュの「バケモノだけでは悲しすぎるではないか」はすごく良くできたセリフだと思う。バケモノは身体能力や心の仕組みが一般的なものとは根本的に違うから、他のものに歩み寄ろうと思うなら、自分の心の犠牲を払う覚悟で他者に優しくなるか、見ないふりをして我がままに振る舞うことのどちらかしかできないのだ。どちらにしても群れるのは合理的ではない。でもそれじゃ、悲しい。心がないわけじゃないから。

 

休日は昔から嫌いだ。何をしていいかわからないのだ。かと言って平日が好きなわけではない。

手を動かして何か作っている間だけは何も考えなくて済む。だから私は制作が好きだ。どんなものを作ろうか、どんなものができるかを想像するのも好きだ。だから物作りは嫌いじゃないと思う。お出かけや旅行も好きだし、ベッドの上でゴロゴロする時間も好きだ。何より同じスケジュールを2週間ほど繰り返していると心がだんだんげっそりしてくる。だから休日は必要だと思う。それでも、休日になると、趣味でも、勉強でもなんでもいいから「何かしなければいけない」という気持ちから逃げられない。溺れている時のような、嘘を隠している時のような胸を引っ掻くキリキリしたものから何をしても逃げられない。未来に置いていかれてる気がする。

 

ここまで書いて、今日はしっきーのかっこよさについて語るつもりだったのを思い出した。お花のことも一昨日くらいから描きたいと思ってたのに。明日にしよう。早くCDこないかな。